ふくぎはもう、描いちゃうね
いくらでも描いちゃうんだよね
丸い葉っぱのせいなのか
隙あらば芽を出そうとするその気概か
どうにも心、惹かれてしまう
先日、図書館で
美術関連の棚にならぶ本を眺めていたら
安西水丸さんの名前がついた数冊が目に入った
ゆる~い線画が印象的なイラストレーターで
誰もがどこかしらで
安西さんの作品を目にしていると思う
安西さんは
とーっても昔に、ちょー間接的に
絡ませてもらったことがあり
懐かしくなり手に取った
ぱらぱらとめくると
”絵は上手い下手ではない”
という言葉が目に入って
なんともありがたい気持ちになった
上手いか下手かでいうと、わたしは下手だ
対象物を正確に捉えて描く、
ヴィーナスとかの石膏デッサン
アレがちょー苦手で
描いているときは夢中だから気づかない
描けた!と思って全体を見ると
なにかしら、歪んでるし
どこかしら、ズレていて
ちょっとウソっぽい
若い時はそのことを
ネガティブにしか思えなかったのだけど
それから長い時間を経て
ついに、絵を描くことに舵を切ってしまった
人生は間違いなく後半戦
これまでの経験知識を使う仕事がしたい
いろいろいろいろ、本当にいろいろ考えたけど
絵を描く以外にモチベーションが上がらない
それなら、もう、描こう
そう思うのと同じ、いや倍以上の不安はあるけど
ココロもカラダも、生きやすい方に
そうして描き始めたはいいが
やっぱり歪んでるし
描き直しても同じようにズレている
もう、どうしても、こうなっちゃうんだな
世の中には絵が上手い人が山ほどいて
上手いか下手かの話をされると
顔を上げられない
とてもじゃないけど生きていけない
でも大事なのは
わたしにしか描けないものが、描けたかどうか
今ならわかる
誰もわたしのように
歪むことはできないし、ズレることもできない
19歳だった当時
『月刊カドカワ』という文芸雑誌があって
月カド詩人という一般公募のコーナーがあり
上位者は作品や名前が載った
詩、というか、散文を書いていたわたしは
初めて投稿した作品が掲載されたことがあり
その時の挿絵が安西水丸さんだった
わたしの原稿が送られてくると、一読してすぐ
「あ、これを描こう」と決める、決めたら後は迷いません、
とおっしゃっていたことです。
出展:Coyote 安西水丸 おもしろ美術一年生 平松洋子インタビュー 58
見開き2ページにはわたしの作品と安西さんの
イラストレーションだけで
マトリョーシカのような人形がいくつか並び
その中のひとつだけ
首をかしげるように少し斜めに傾いている
もしかして
わたしの作品を読んで
描いてくれたのだろうか
掲載された喜びで
当時はそこまで考えなかった
ひとつだけ斜めのマトリョーシカが
作品の中の、”わたし”のよう
下手でよい、とは思っていない
わたしだけの絵を描くために
上手くなりたい、と思う