一日に、ふたつかみっつ

1995年ヨーロッパを巡る旅・北部編



旅って、ひま。

旅の多くは期間限定ですし、
ひとり旅は学生時代に
1泊2日で美瑛に行ったくらいで
この旅は、
ざっくり半年程度。
所持金が続く限り。

どの道を通ろうが、
どの列車に乗ろうが、
どの国に行こうが、
わたしの自由。

時間の拘束もありません。
あるとすれば、
夜になることくらい。



よく考えると
幼稚園に入園してから?
ほとんど生活を時間枠の中で
生活していたのでは。

湧いてくるほど時間がある。
わたし、
時間の使い方がわからない。

みんな、旅に来て何してるのかな。
もっとなにかをして
楽しく過ごしてるんだろうか。

観光名所や美術館に行く。
両替をしに銀行へ行く。
手紙を出し、受取に郵便局へ行く。
宿を探す。
次の街へ移動する。
一日にこのふたつか、みっつです。

こんなにひまだと思わなかった。



地元の人で活気づく前の
鳩のほうが多い中央広場

着いたはいいけど
出発時間までだいぶある
駅のホーム

訪ねた美術館が休みで
ショック状態でやっとみつけた
公園のベンチ

宿を探してたら雨が降ってきて
ひとまず逃げ込んだ教会

それまで経験したことがないほど、
ぼんやりすることとなりました。

目の前をゆっくり歩く人。

向こうで猫が寝ている。

街路樹が風で揺れる。

そのうち、なんとなく
考えたことを書き留めたり、
風景や人を
描いたりするようになりました。



ある日、隣に
おじいさんが座りました。
描いている絵をのぞきこみ、
にっこり笑って、
good!と親指を立てました。

驚きと嬉しさで顔面、総崩れ。
サンキュー、サンキュー。

前を通り過ぎようとした人が
立ち止まってノートを指さし、
「それは何語なの?」と
聞かれたことも。
「私の名前を日本語で書くとしたら?」
と聞かれ、どうしても
「愛羅武勇」的になってしまい、
なにかいい漢字はないのか!と
悶えてみたり。


もちろん、毎度ではないので
ひまに変わりはありません。

それでもなにかをしなければ、
という気持ちもなくなり
なにもない時間が、なにもない。
というだけになりました。

目に映るもの。
目をつむっても
風のにおいや乾き具合で。
体が休まることだって。
ミミズだって 、
オケラだって、
アメンボだってー。

なにもない、ということもない。
その時わからなくても
なにかしら育っているもの。

そんなことがわかるのは
もっとずっと、先の話。

絵を描いて写真を撮り、文章にして、まわりのモノ・コトを描き留めます。