おにぎりをくれました

教会の椅子 ヒップを包むくぼみに感動した

1995年 ヨーロッパを巡る旅・北部編

ウィーンからスイスのチューリヒへは
夜行列車に乗ります。

初・夜行列車
夜も遅い時間に発車するため
駅構内で時間をつぶしていると、
ここでも日本人女性に出会います。
同じような年の頃の彼女について、
覚えていることが三つ。

ひとつ目。
「とにかくプラハが良かった」

彼女は旅先のプラハから戻ってきたところでした。
中世の雰囲気が残る街並みが
とても美しくて想像以上に良かったと、
また物価が西側ほどでもなく
買い物も食事もより楽しかったという。

当時はチェコとスロバキアが分離して間もなくで
情勢が掴みきれずルートには入れていなかった。
ちょっとグラついたが今回は断念。
以来、行きたい街、不動の一位。


ふたつ目。
「夜行列車の注意事項」

これから初・夜行列車に乗るわたしに
彼女が教えてくれた、とあるお話。
ある日本人男性が
ヨーロッパを旅行中に夜行列車に乗り、
隣り合った人に飲み物をもらった。
飲んだそれにはなんと、睡眠薬が入っていた。
気づいたらアフリカ某国にいて、
身ぐるみはがされ絨毯を売りつけられた、
らしい
よ!


わかっています。


入国時はさすがに寝てられないだろ
とか、
どの時点で意識が戻ったのか(そこ?)
とか、
身ぐるみはがされていたら
お金も取られて絨毯なんか買えないじゃん
とか

ツッコミどころ満載ですが
旅人はお互い助け合うもの

注意事項が脈々と語り継がれる中で
少しの説明不足と
多めの盛りつけが推測されることから、
なにとぞスルーしてください。

要は、
「このような環境では飲食物の提供は遠慮すること」
です。

まじで?なにそれこわいわ・・気を付ける!
真意を純粋に受けとめた、若き日のわたしでした。


みっつ目。
「おにぎりをくれました」

この話の流れから、コントかな?と
思いたいところですが
彼女はもう帰国するからと
非常食のようなおにぎりパックをくれました。

もちろん、わたしは純粋でしたので
へぇ~、こんなのあるんだ~!と
ありがたく頂戴し、後日いただきました。

ちなみに、記憶のない長距離移動も
絨毯を買えとせまられもしていません。




そんな彼女と数時間しゃべり倒し、
お互いの移動の無事を祈って
(これもコントか)
空港へ向かう彼女を見送り、
やや緊張しながら列車に乗り込んだわたしに
飲食物を差し出す人はいませんでした。

ありがたいことに。



窓の景色が
スイスっぽくなっていきます。

「スイスっぽい」、それはまさに
おじいさんに教えを請い
車いすの友人を自立歩行に導いた、
ものすごい急勾配を駆けていくあの少女。

車窓を楽しみながら無事、
8か国目スイス、チューリヒに到着。



▶この前のお話

絵を描いて写真を撮り、文章にして、まわりのモノ・コトを描き留めます。